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苅田町役場横に小さな森がある。
木々で覆われているので分かりにくいが、前方後円墳の石塚山古墳である。推定全長130メートルで、築造時期は三世紀後半から四世紀だと見られている。
石塚山古墳は海岸線に造られた。前方部に立ち、海側を眺めてみよう。眼前に広がる住宅街と工場群が想像の海に変わると、古墳時代にタイムスリップすることができる。想像の海に船が見えたら、その船に乗ってみよう。すると、陸地に石に覆われた巨大な古墳が見える。朝陽が当たると石がキラキラと輝く、ランドマークだ。苅田地域は瀬戸内海の西端で、難所の関門海峡を通らずにダイレクトに畿内へ行くことができる。畿内から見た九州の玄関口という地理的特徴が、この歴史に大きく影響してくるが、その始まりが石塚山古墳なのである。
時は流れ、寛政8年(1796)、南原村の庄屋銀助が、この小さな森で農業用水路に使う石を探しているうちに、石で囲まれた空間を見つけた。中には十数枚の三角縁神獣鏡があった。その中の一枚は、ピザの一ピースだけ食べられたように欠けていた。
さらに時を重ね、銀助の発見から約190年後の昭和60年(1985)、苅田町教育委員会が行った石塚山古墳調査で石室内から三角縁神獣鏡の破片が見つかった。それはピザの一ピースのようだった。190年の時空を超えて、歴史のパズルが完成したのである。