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まちのあゆみ(明治)

ページID:0007049 更新日:2024年3月4日更新 印刷ページ表示

明治

1889年(明治22年)

 町政施行により雨窪、松山、苅田、提、光国、浜町、馬場、南原、集、尾倉の十ヶ村が統合されて苅田村に、与原、新津、下新津、上片島、下片島、二崎、岡崎の七ヶ村が統合されて小波瀬村に、稲光、山口、鋤崎、谷、法正寺、葛川、黒添の七ヶ村が統合されて白川村となる

1895年(明治28年)

小倉、行橋間の鉄道開通