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松山城跡

ページID:0001880 更新日:2023年12月19日更新 印刷ページ表示

町指定史跡松山城跡は、平成30年7月の大雨による土砂崩れで利用者の安全が確保できない状態にあるため、立ち入りを禁止しておりました。その後、町は県や有識者等の指導を受け、応急的な遺構保存修理や経過観察を実施しております。

現在は、立入禁止区域を設定した上で、一部公開の再開をしております。

松山城跡

 北九州空港から連絡橋へ進むと正面に見える標高128メートルの小山が松山城跡です。今では周囲を埋め立てられていますが、当時は海に突き出た半島状の要害でした。

 天平12(740)年に、藤原広嗣が築城したと伝えられています。中世には周防の大内氏(のち毛利氏)と豊後の大友氏の間で城を巡る激しい攻防戦が繰り広げられました。

 天正14(1586)年には、黒田官兵衛が秀吉の九州攻めの先鋒・毛利勢の軍監として陣を敷きました。平定後は、黒田12万石の北端を守る支城となりました。

   城跡から出土した軒平瓦には秀吉ゆかりの「桐葉」が描かれており、黒田官兵衛との深い関連を物語っています。

   この瓦は町役場横の苅田町歴史資料館(国指定史跡・石塚山古墳もすぐ隣です)に展示されています。(入館無料)

 
所在地 苅田町大字松山
指定 平成5年12月22日町指定史跡

アクセス   JR苅田駅よりコミュニティバスで「松山城登山口」下車

(修正)松山城駐車場

苅田町ハイキングマップ『てくてく苅田あるき』[PDFファイル/1.9MB]

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